■はじめに本書は、ドナルド・ノーマンの前著『未来のモノのデザイン』(2008年)に継ぐものです。本書の主題は、実世界やテクノロジーがはらむ必然的な「複雑さ」との共生のデザインにどう取り組むか、というところにあります。当初ノーマンは、社交的でコミュニケーションする人の特質をデザインに取り込むという内容で、タイトルを『Sociable Design(社交的デザイン)』として執筆を進めていました。しかし、機器やサービスを社会的・社交的な活動として捉えデザインすることは問題に対する解決手段の1つであり、ノーマンいわく「これでは1時間の講演に見合うものではあるが、本2章分くらいにしかならない」ものと気づいたとのことです。その後、デザイナーとユーザーの双方が「複雑さ ─ complexity」に責任を持つという、本書の主題にいき着いたということです。
ここでは、本書のポイントについて、ノーマンが訳者とディスカッションするために来日した際の話を加えながら概説します。
■2つの大転換本書では、ノーマンのこれまでの主張における2つの大きな転換が見られます。1つ目は、『誰のためのデザイン?』以来の「簡素(シンプル)」に対する考え方、2つ目は、従来のアフォーダンスを置き換えるシグニファイアという概念の導入です。
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第1の転換:「簡素(シンプル)」から「複雑さ」との共生へ本書の中心的なキーワードはタイトルの通り「complexity〜複雑さ」です。原書英文で「複雑さ」にあたる単語としては、complicate, confuse, complexなどが用いられている。complicateやconfuseは人間の頭の中の認知、complexは実世界側での事象を主に表わしているものといえます。翻訳に際しては、前者は「混乱」、後者を「複雑」としました。ただし、必ずしもそれぞれの単語を機械的に訳すのではなく、文意に合わせて訳し分けました。
これまで人間と機械とのインタラクションの主眼は、いかに「簡素(シンプル)」にするかにあったといえます。この「シンプル」も「混乱」の種と成り得ます。ノーマンはAppleのiPhoneを例に挙げています。AppleのiPhoneは「シンプル」だと多くの人が言います。そもそも単純な課題に対してシンプルな操作性を与えることは簡単です。しかし、ひとたび「タイムゾーンを変更してみて」といった課題を与えると、はたと悩むことになります。それでもそれがシンプルだと思われているのは、そうすることがユーザーにとって愉しいからであり、また、操作に失敗してもユーザーが自分自身を責めるからです。「シンプル」という状態は、実世界側と人間の認知の側との双方で起こり得ます。つまり、人間の認知の側で起こり得ることは「混乱」の種となり得るのです。
実世界側のタスクは複雑であり、それ自体は良しとする。デザイナーもユーザーも実世界の複雑さとそれに見合ったテクノロジーについては「パートナー」として協力するというのが今回のノーマンの主張です。システム全体の複雑さは一定であるという「テスラーの複雑性保存則」もこの協調関係にどう対峙するのか、という論点を提示しています。こうした視点は、これまでデザイナーが責任を負うべきであったというこれまでの主張とは異なるのではないでしょうか。もちろん、人間側の認知における「混乱」については、従来の主張と変わらず、デザイナーが責任を追う領域であることは揺らいでいません。
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第2の転換:「アフォーダンス」から「シグニファイア」へ1988年、ノーマンは著書『誰のためのデザイン?』を通じて、アフォーダンスの概念をデザインの世界に導入しました。以来、それはデザインの世界に広く受け入れられましたが、J.J.ギブソンが展開していた概念とは捉えられ方が異なっていました。アフォーダンスは、生体とモノとの間の関係性であって、その存在に気づくか気づかないかに関わらず環境に存在するものです。しかし、デザイナーは、それがユーザーに知覚されない限り存在しないのも同じであると考えます。そこでデザイナーはユーザーがそれに気づくように「製品にアフォーダンスを付ける」のです。この「知覚された」アフォーダンスとも言うべき異なる概念に対して、本書では「シグニファイア」という言葉を導入し、デザインの世界でのアフォーダンスとシグニファイアを区別することを提言しています。デザイン界の「アフォーダンス」の提唱者自らの「宗旨替え」は大きなインパクトを持つでしょう。
■エクスペリエンス/経験原書では頻繁に「experience」という単語が登場します。翻訳に際しては、明らかにデザインの世界のユーザーエクスペリエンス(UX)を指している場合には「エクスペリエンス」をあて、いわゆる見たり聞いたりといった個人の記憶によるものを指している場合には「経験」をあてました。
「ユーザーエクスペリエンス」という言葉のニュアンスを日本語にするのは難しいと言えます。ユーザー経験、利用経験といった訳語もありますが、デザイナー側からユーザー側、利用前から長期的な利用後に渡る、包括的な概念を表わしきれていないように思えます。experienceの語源をたどると「(危険を冒して)試す」といった意味合いもあるようです。本来的には「体験」といった訳語が合うのかもしれません。この語源の意味でのexperienceを成立させるには、ここでもユーザーとデザイナーのパートナーシップが求められているように思えます。デザイナー側の片思いでは語源の意味としてのexperienceを創り上げたことにはなりませんし、ユーザー側の製品やサービスへの一方的な期待や活用でも充分とは言えません。
ユーザーが実世界で製品や周囲の環境を創造的に「ハック」する様子を捉えることが、デザイナーにとって大きなヒントになるとノーマン自身も語っています。
リアルか未知かを問わず、ユーザーとデザイナーの相互の直接的・間接的なインタラクションがあってこそのexperienceなのでしょう。本書で無理に新たな日本語訳を割り付けるよりも、「エクスペリエンス」の本来の意味合いを我々が伝え続けることの方が生産的ではないでしょうか。
■おわりに2011年3月11日、日本は未曾有の災害を体験しました。そして将来に渡る様々な問題に直面しています。テクノロジーへの素朴な信頼がもたらした課題もそこには多分に含まれているように思われます。国の役割、地方行政の役割、企業の役割、一般の人々の役割 ─ 複雑な問題に対して、それぞれがそれぞれの役割を担い、互いに知恵を出し合い、パートナーとして問題を共有してゆく─ まさに、本書で提示されている複雑さに対する大きなチャレンジが今我々に課されているように思えてなりません。
posted by igaiga at 14:36
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