2017年03月09日

充分に賢くもないのに、バカにもなれない

「充分に賢くもないのに、バカにもなれない」

これが、やはり人の成長を妨げているように思います。

10年以上前に養老先生の「バカの壁」が話題になりましたが、まさにそれを実感します。
分かったつもりになって試そうとしない。試すことを楽しいもの、人生の実験だと思えずに「めんどくさいもの」と捉えてしまう。

常人を凌駕するような知性があるのであれば、思考実験だけでも新たな領域に到達できるのでしょう。

問題なのは、そこまでの知性は持ち合わせていないにも関わらず、自分は優れていると思っていたり、何か分かっていると思ったり、何かできると思っていて、しかも「思っている」だけで何も自分の人生・生活を変えようとしない。自分にとっての目先のメリットとデメリットを頭で考えるだけで、その先を探検しようとしない。こうした評論家的な態度が人間としての成長を止めてしまうのです。

そうした人に限って、その人の長期的な成長を願って色々と試せる環境を作るのですが、一向に実験的な行動を起こさなかったり、あるいはほんのちょっと試しただけで分かったつもりになるのです。何年かすると「なんとなく言っていた意味が分かった」といったことを聞くこともありますが、もちろん10代20代であればそれでも学びとしてはそれで良いと思いますが、30代40代になって何年かして気づくというのは、学びとしては手遅れに近くなってしまいます。

3歳の息子がいますが、例えばUSBのケーブルを手にしたとき、その先端がどこに刺さるのか、次々と思いついてははめ込もうとします。もちろん彼の実験では、はまるものもあれば、はまらないものもあります。でも、大人だと「ああそれは入らないよ」とやる前に思ってしまうことも、実際に彼が試すと思いも寄らずはまったりします。

人は知識をつけていくことで成長します。それと同時にこうしたバイアスを身につけてしまっていることも理解しなければなりません。
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2017年02月12日

セッションにおける「裏」のデザインの重要さと「サービス」の事業継続性

トレーニングプログラムなどのワークショップやセミナーなどでは、ワークショップなどのセッション運用には、コンテンツやプレゼンテーションそのものに加えて、バックヤードの質も重要です。

  • 机の上の資材や資料類が整然と並べられている、
  • セッション開始後ドアを閉める、
  • 必要に応じて照明のコントロールをする、
  • ケーブルの配線や養生を美しくする、
  • 参加者が飲み物類で汚したりこぼしたりした時の迅速なケア、
など。

ただ、これらを細かく運営側メンバーに指示しても「うるさいやつ」「細かいやつ」としか思われないでしょう。
また、自分の態度で見せていたらいつかメンバーは何か学んでくれると期待していても気づかない人は気づかないでしょう。
過去には「こんどから全部あんたがやったらいい」といった趣旨のことを言われたこともありました。

サービスの継続としてこうしたセッションのデザインを考えた時、その事業としての永続性をどう担保するのかとても悩みます。
コンテンツそのものはタンジブルなものなので、リードする人間がいなくなったとしてもマテリアルは残るでしょう。
プレゼンテーションそのものも、コンテンツのメモに書けることもあるでしょうし、喋り方などは批判や嘲笑のタネになりながらも反面教師として記憶に残っていく部分もあるでしょう。

でも、目に止まらなかった、気にもとめられていない「バックヤードの質」については、残すことは難しい。

ホテルなどでは、おもてなしの質についてご意見を頂くことはある程度はできるでしょう。
ワークショップやセミナーなどでそうした項目をアンケートなどでうかがうことは、できなくはないでしょうが、そうした項目に回答して頂くのもいささか気が引けます。マニュアル化しても、きっとその本質的な部分は失われていくでしょう(やらないよりは「まし」かもしれませんが)。

それぞれの行為自体には、参加して頂いた方々がコンテンツに向き合って頂いたり、エクササイズの生産性を高めるためなど、それぞれに間接的ながらにも意味があります。その意味をセッション中の時間から汲み取るには、その場にコミットする主体性、感受性、機敏性など、様々な能力が求められます。

セッションでは表より「裏」をデザインすることがとても難しく、そして、どうやってその質を担保し、事業継続につなげるのかが、コンテンツの質にも増して課題として突きつけられているように感じます。
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2015年05月22日

D.A.ノーマン『誰のためのデザイン? 増補・改訂版』出版

邦訳に携わっておりました
D.A.ノーマン『誰のためのデザイン? 増補・改訂版』
(Design of Everyday Things, Revised and Expanded Edition)
をようやく上梓することができました。

ご興味のある方はぜひお手に取っていただければ幸いに存じます。

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2014年04月06日

書評:松波晴人『「行動観察」の基本』



松波晴人, 『「行動観察」の基本』, ダイヤモンド社, 2013.

「用語説明が丁寧で参考になる」「事例が豊富」「文体が読みやすい」…

一見するとデザインエスノグラフィの分かりやすいWikipediaのページが出来たのでは、といった本として読めなくもないですが、しかし、そうしたことだけでは語りきれない大きな課題を突きつけられるアグレッシブな本なのではないでしょうか。

本書は、松波さんの掲げる「行動観察」のプロセス、すなわち、課題に対して、フィールドを観察し、分析し、インサイトを導き、リフレームされた新しい発想でソリューションを実施可能な形で提供するという一連のモジュールの説明と、それを適用したいくつかの事例、読者が実践するにあたっての対処療法が述べられています。

日本はメソッド大好き。言葉の定義大好きな国です。
見た事もないメソッドを探し出し、それが何かを突き止め、様々な言葉の定義が腑に落ちると…さてお次のメソッドは何にしようか…
そうした儚いニーズに対して、陥りやすい罠への対処法を挙げ、謙虚に応えながらも、常に読者に「外に出ろ」と強く行動観察の旅へと誘う。

しかし、そこで読者には大きな挑戦が突きつけられます。

1つ目の挑戦:個人のスキルに関して
イノベーションに関して、誰でも観察すれば価値のあることが起きるかと言われれば、答えはyes and no。人間を対象とする財やサービスのデザインをするのであれば、リテラシーとして人間を理解することはもちろん重要であり、観察するだけでもなにがしかの進歩を生みます。が、それがイノベーションにつながるかどうかはまた別の話しといえます。
また、インサイトとリフレームを導きながらも、それが本質的なフィールドの示すファクトに問うというスキルは、残念ながら、誰でもできるというものではありません。
さらに、リフレーム。本書の事例を読んでいるだけでも、もっと重要な「リフレーミング」のポイントがいくつも頭に浮かんできますが、一読者である私には窺い知れないほどに、本当にそれがフィールドに照らして妥当なものかはとてもナイーブなセンスと決断力が求められます。それだけリフレームというのは見識を広げつつ、課題を捉え直しながら、課題に深く入り込み、脳から汁が溢れ出てくるほどに考え抜く…カメラのフォーカスを寄せたり引いたり頻繁に繰り返すような思考が求められると思います。
ここで何年か前の将棋の羽生さんの「学習の高速道路」の議論が頭に浮かびます。
「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています。」
デザインやサービスの分野は、テクノロジーとは少し違って、誰でもがある程度のところまでは実践できると言えます。しかし、その先の深い部分については専門性が求められます。身体的に問題の少ない人であれば誰しもできてしまう「観察」〜高速道路を走り抜けた先には大きな挑戦が待っています。

2つ目:イノベーションを起こす母体としての組織に関して
比較的小規模でオープンなプロジェクトであれば、アイデアを実現するプロセスは比較的シンプルであり容易に表現できると思います。しかし、私自身リサーチだけでなく、イノベーションのコンサルテーションも実施している身からすると、クライアントの内部的なイノベーション装置としての組織については、一冊の本で表すのは難しいし、かつコアな事業につながるものであれば当然、表には出せないことがほとんどです。入口としての観察、出口としてのデザインは、比較的見せやすいのでオープンである反面、本質的なイノベーションを生み出す「組織」の振舞いについては、外からは「さぁ勇気をもって冒険を始めよう」と言うに留めるしかないのではないでしょうか。
勇気を持って一歩踏み出した先にある、混沌とした非線形なプロセスについては、深いノウハウが求められ、ここにも大きな挑戦が待っています。


いずれにしても、財やサービスなど、広い意味で人や社会に対する価値を提供する以上、それを利用する人や潜在的に利用するであろう人や社会を理解することがイノベーションにつながる重要なきっかけであることには変わりありません。もちろんイノベーションというのは、「行動」の「観察」だけで導けるものではありません。テクノロジー、サービス、自社のアセットすべてを振り絞ってもそれでもなお生み出すことが難しいものでしょう。しかし、観察によって課題の本質の一端でも理解できているかどうかは、その後のイノベーションに向けた活動の原点を作る意味でも重要であると考えています。
本書をきっかけとして、フィールドに出て、本質的な課題からイノベーションをスタートしませんか?
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2014年04月05日

書評『シリアル・イノベーター』


アビー・グリフィン、レイモンド・L・プライス、ブルース・A・ボジャック、市川文子、田村大[監訳] 東方雅美[訳]
『シリアル・イノベーター 「非シリコンバレー型」イノベーションの流儀』, プレジテント社, 2014.

「シリアル(Serial)=連続的・幾度となく」イノベーションを起こす人材、しかも成熟した企業の中でそれを起こす人材の姿を描いている本である。

さて、シリアル・イノベーターとは〜ニーズを把握し、研究開発を牽引し、市場機会を認識しながらプロジェクトを牽引・指揮し、こうしたイノベーションを何度も繰り返すことのできる人〜です。
加えて、
  • パーソナリティ
  • パースペクティブ
  • モチベーション
  • プレパレーション(構え:取りかかるための準備や心構え)
  • プロセス
  • 社内政治
の英語の頭文字を取った「MP5」のどれについても卓越した能力を持っているという。
こうした素養を持ち合わせ、一度ならず、複数回も企業内で莫大な利益をもたらすイノベーションを起こすという人材です。(今風にいえば「神社員」とでも言える人でしょうか。)

組織は人なり〜「シリアル・”イノベーション"」ではなく”イノベーター"であるところがポイントのひとつであり、組織ではなく、こうした素養を持つ個人に依拠したイノベーションこそ、成熟した企業がブレイクスルーを生み出し、新たな利益の源泉をもたらすというところへの着眼にインパクトがあります。

こうしたタレントについての言及といえば、十年ほど前にガートナーが提唱した「バーサタイリスト(versatilist)」が思い出されます。バーサタイリストとは、つまり「複数の専門領域を持ち、その時その時のビジネスニーズと状況に応じて、いくつもの役割をこなせる人材」と定義されています。「シリアル・イノベーター」は多くの産業・人材をケースとした調査に基づき、実在のイノベーターの分析から得られた人材の像です。バーサタイリストのようにスタティックな企業の方向性の型にはまるイメージではなく、当然ビジネス上の素養といったスケールに収まるものではありません。さらに、人間の内なる人格・哲学・思想・素養、そしてそこからの組織内とのソーシャルな関わりにまで人物像が及んでいます。

シリアル・イノベーターが主導するイノベーションのプロセスはどのようになるのでしょうか。課題の発見、課題の把握、技術開発と評価、製品開発、市場での普及〜「砂時計型モデル」一見すると人間中心設計のイテレーションのプロセスを分解したかのような流れがあるという。しかしポイントは、そのプロセスをイノベーターそれぞれが異なる道筋を通りながら進むということにあります。さらに、同じイノベーターでも取り組みが変わればまた異なる道筋を辿るという。
この非線形性なプロセスはイノベーションの本質であると思います。PARCの多くの研究者もこうした非線形なプロセスを辿っています。スタートポイントは様々ですが、それぞれのポイントにある種の哲学を持って立ち寄りながら、研究を進化・深化させています。イノベーションについての本質的な姿勢が示されている考察が見られます。

では、シリアル・イノベーターのポテンシャルを持つ人材をどうやって見つけて、どうやって育成するのでしょうか。
本書では以下の5つを挙げ、初期の段階からこうした「生まれつき」の特性を一人の人間が持っている必要があると分析しています。
  • システム思考
  • 平均以上の創造力
  • 複数の知識分野にまたがる生来的な好奇心
  • 深い専門知識をベースに直感を働かせる力
  • 物事を「よりよく」したいという生来的なモチベーション
また、シリアル・イノベーターを継続的に育む組織の土壌について、イノベーション製法の喪失、一発屋、豊富な人材・少数のイノベーター、実りあるシステム、という会社・組織の4つの状態に応じた分析・対処法を試みており、さらにそうした人材をどうマネジメントしていくのかについて触れられています。

本書の最後には「読者へのラブレター」と題した章が用意されています。シリアルイノベーター(を目指す人)、同僚、技術マネージャー、人事、CEOなど、シリアルイノベーターとそれを取り巻く様々な立場の人々に向けた処方箋を記しています。


と、すんなりと読み進められたように書いていますが、実は最初の章から強烈な違和感を覚え、このまま読み進めるべきか躊躇しました。

一番最初に感じ、最後まで解消されなかった違和感は、おおむね「時間(time, timing)」に関するものです。

分析について:どの国のどの時代におけるどの企業のどの状況を切り出したかによってこうした分析は大きく意味合いが異なります。また、当然事業の「本流」から斜め上を行くような面白いヒット商品の裏には面白い人や興味深い逸話がつきものですが、どんな事業にも紆余曲折があるのは自然なことで、紆余曲折を経てきた人が紆余曲折できた能力のある人であるという結果を分析するのではなく、いつどの能力を発揮し、いつどの能力を付加的に獲得したのか、あるいはそうでなかった人はどうだったのか、それはどう時間軸で進んでいったのか…といったコーホート分析のようなアプローチが求められます。
これは本書だけでは個人的には充分には分からなかったので、本書のよりどころとなっているであろう論文にあたり、調査分析の条件や限界について知っておく必要があるように感じました。

ターンアラウンドタイム:ある課題を創造し、その課題にチャレンジしてから成功させ、そこでの学びを活かして次の課題にチャレンジを始めるまでの、ある種の「ターンアラウンドタイム」がとても気になります。
例えば2回のイノベーションを起こした人は結果論的には「あなたはシリアル・イノベーターです」とラベル付けされ、めでたくフェローなど何らかの立場に付くのかもしれません。しかし、何歳の何と言う人材としてひとつの会社に居るのかがよく理解できませんでした。「研究開発」など一つの専門領域を切り出せば、ある分野で顕著な功績をあげた社員をリスペクトし、表彰することはよくあることです。モバイルやウェブの世界であれば、半年や1年で1周が回ってくるのでしょうが、息の長い事業領域であれば10年から15年。2周したら20年〜30年。ある技術領域で深い専門知識を持つ博士課程を終えて、2周を終えれば50歳後半から60歳。「あの人はシリアル・イノベーターでした」という後付けの議論にならざるを得ないように感じます。
生まれつきの特性を持つであろう人材に適宜チャンスを与えて行くことには非常に意味があると思いますが、結果としてのシリアル・イノベーターという言葉は空虚に見えてきます。
能力がありそうな人材にチャンスを与えていく取り組みはいずれの企業でも「やっている」ことですし、前述のテストによって評価できる人材もマネージできる人材もいないでしょうから、いずれにしても「シリアルイノベーター発掘制度」のようなものを従来制度の枠組みで作っても効果は薄いように思います(とくに日本の大企業では)。

いつなるの?今でしょ生まれつきでしょ(生まれつきという考え方への反感):生まれ持った特性という考え方自体、西洋エリート主義的であまり好ましいものではないように個人的には感じてしまいます。人は大なり小なり様々な障害や困難を持ちながらも、社会に支えられながら、成長していく生き物だと思います。成熟した企業の入り口で「シリアル・イノベーター」を判定することよりも、生き生きとした自由な好奇心で学び続けられる人間が増えることが社会にとっても、翻って企業にとっても価値をもたらすものであると思います。
こうした素養を生まれもっていれば幸いですが、後天的にも気付きによって学習していける人材も本来は多くいるはずです。PARCではR&Dのイノベーションプロセスの革新に加えて、イノベーターのトレーニングのプログラムも実施しています(我田引水ですが)。もちろんこうしたトレーニングにおいても、向き不向きというのは出てきます。一番感じるのは自分の好奇心・個人的な関心から適切な課題を発見するにあたり、自分や課題を客体化できるかどうかが重要であるように思います。

最後に、良い意味でも悪い意味でも何となく思い出したように併せて読みたくなった本をいくつか挙げておきます。
この本の可能性への共鳴と同時に感じた違和感とを共有できる方がいればぜひ議論させてください。
  • Clayton M. Christensen, et.al., Disrupting Class, McGraw-Hill, 2008.
  • 福岡伸一, 動的平衡, 木楽舎, 2009.
  • 牧野正幸, 君の会社は五年後あるか?, 角川書店, 2010.
  • Malcom Gladwell, Outliers,  Little, Brown and Company, 2008.
  • 北康利, 福澤諭吉 国を支えて国を頼らず, 講談社, 2007.
  • Eric Ries, The Lean Startup, Fletcher & Company, 2011.
  • Philip Rosenzweig, The Halo Effect, Simon & Schusters, Inc., 2007.
  • Mark J. Stefik, et.al., Breakthrough: Stories and Strategies of Radical Innovation, The MIT Press, 2004.




p.s.
邦訳副題の「非シリコンバレー型」というのはちょっとシリコンバレーな企業に身を置く人間としては「あおり過ぎ」な気がします。シリコンバレーこそ大企業病予備軍の集まりなのではないかと思いますし、その病を知り尽くしているからこそ変化に対して寛容な土壌をあえて作っているのだと思います。「成熟した企業内からの」という閉じた発想から、土壌・エコシステムのデザインができるかどうかが本質的なキーなのではないでしょうか。
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2014年02月09日

実験室生まれのイアフォン

とても気に入った曲があって、妻も好きそうな曲でした。
早速、自分がいつも使っているiPodで妻に聴かせてみました。
「うんいいね。もっといいのは、このイアフォン。音もいいし、すごく着けやすい。」
とても意外な言葉でした。

私にとってこのイアフォンを選択したことは「大失敗」でした。
これほど使い勝手の悪いイアフォンに出会ったことはありませんでした。耳につけても電車で少し動くだけで落ちそうになります。自分でビデオ録画して検証したところ、イアフォンのケーブル部分の左右の分岐の付け根にある凹凸が大きいために、ワイシャツの襟に引っかかることが分かりました。ケーブルの長さも微妙に短くて、付属の延長ケーブルらしきものを使わなければならず、これがまたケーブルの重量を増すので、耳の部分が外れやすくなります。そして、耳の部分が非常にかさばる構造なので、iPodにまきつけてもでこぼこして収納しにくいのです。
音はまずまずよいと思うのですが、ともかくも日常利用する上でとてつもなく使い勝手が悪いのです。

なぜ妻は着けやすいと思ったのでしょうか?

妻はイスに静かに座り、音楽を聴いていました。
自分も黙っていすに座って装着してみると、たしかに何も問題は起きません。

ふと、
このイアフォン、実験室で作られたのでは?
という疑念が頭に浮かびます。

モバイルの環境で使われることが多く想定されるイアフォン。技術者が音質や音漏れなどの問題を技術的に解決し、定量的な実験を繰り返し、得られた答えがこの製品なのではないでしょうか。技術者は確かに製品や技術に誰よりも精通しています。しかし、彼ら彼女らが精通しているのは、文字通り「製品」や「技術」であって、それが使われる文脈においてではないことが多いのです。

このイアフォンのメーカーが再び、人(man)が歩きながら(walk)音楽を聴くという新しいスタイルを生み出せることを切に望んでいます。
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2014年01月26日

「えび2種食べ比べ」に見るこれからのイノベーションプロセス

食品業者による偽装や誤表示が話題となっています。

健康に良い・安全な食品を通信販売で届けるサービスのひとつにOisixがあります。
そのOisixの商品の中に「えび2種食べ比べ」というセットがあります。漠然とした不安や食材についての理解の不足など、うまく消費者の心を捉えた商品だと思います。「車えびとブラックタイガー」「芝えびとバナメイえび」の2つのセットがありましたので、早速「芝えびとバナメイえび」というセットを取り寄せてみました。
http://www.oisix.com/shop.g6--tokushuu--hnsk_131219shrimp__html.htm?mi2=leftcate

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  • 芝えび:フワッとした柔らかな食感とやさしい甘み。
  • バナメイえび:パキッ・プリッとした歯ごたえのある食感。

2つのえびを並べて食べ比べると「何となく」はその違いが認識できるものです。しかし、もしも味の強い料理に入れたとしたら、どちらのえびかと問われればたぶん答えられないでしょう。それぞれがそれぞれの「えび」であるということがよく分かります。


人間のエゴですが、食材としてえびたちを見た場合には、どちらが良い悪いということはまったくなく、料理人が:
  1. 料理の種類に応じてを食材を選ぶ
  2. 食材に合った料理を創作する
という大きく分けて2つの立ち位置があるのだと言えます。


「料理の特徴に合ったえびを見つける」と「えびの特徴を引き出す料理を見つける」〜
この2つの立ち位置は、狭義のマーケティングリサーチからのイノベーションと、エスノグラフィなどの定性的リサーチからのイノベーションとの違いに近いのではないでしょうか。
(不謹慎な表現ではありますが…。もちろんアナロジーであって、人を食材扱いしている訳ではありません…。)


化学調味料を大量に用いて、やみつきになる強い味付けをして、何を素材として入れても違いのない料理を生産してきたのが過去の企業活動だとするなら、すべての要素が優しく結びついたような料理の創作がこれからの企業活動に求められてきているのではないでしょうか。

定性的なリサーチでは、対象者の方々の質的な側面、例えば日常生活、想い、価値観といったナイーブなデータを扱います。人は多様であり、人の間には基本的には優劣はありません。それぞれの人の多様さや違いからのイノベーションが注目されているのは、対象となる「人」を中心として緩やかに、ボトムアップに見えてくる創発の世界に可能性を感じるからなのでしょう。


※「えびで鯛を釣る」的なコメントが頭に浮かぶでしょうけれど。(さらに不謹慎...)
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2014年01月05日

フィールドワークでのRICOH THETA活用所感

■RICOH THETAとは
RICOH THETAは、360度全天球の静止画をワンボタンで撮影できるデバイスです。

過去には360度のパノラマ画像といえばQuickTimeVRがありましたが、これまでのもののようにオーサリングでの画像合成はなく、カメラによる撮影時にその手軽さをシフトしている点にユーザビリティ上の特色があります。

レンズやカメラなどコアテクノロジーを活用していることや、新規事業のクラウドストレージの資産・人材を再活用できることなど、メーカーの取り組みとしても興味深い製品のひとつといえます。
https://theta360.com/ja/
Post From RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA



■THETAのフィールドワーク活用
個人的には、このカメラの現状の性能に限界はあることは織り込み済みでしたが、ポテンシャルの魅力に惹かれて購入しました。

日常利用するのみならず、リサーチにおいても、トレーニング重視のワークショップやちょっとしたリサーチなど、実験的にフィールドワークのオブザベーション中心にこのカメラを活用してみています。

とにかくワンボタンで全体の雰囲気を一瞬で持ち帰る意味は大きいです。フィールドワーク後のデータ分析の際に、たった「1枚」の画像で環境の様子を他の人にストーリーテリングできるのです。ビデオ撮影とも違い、ボタンを押したときの「呼吸を止めた」ような瞬間が記録されているというのは新しい体験です。
今後、フィールドワークなど多くのリサーチや調査で用いられることになるのでしょう。とくに定点観測型調査には威力を発揮しそうです。


■個人的所感
ただ、個人的にイメージするフィールドワーク(オブザベーション)のためのツールとしては、感覚的に合わない部分もあります。それは、プライバシーの侵害という一般的な課題ではないように思います。

  • フィールドワーカー自身が何を撮っているのか意識しないことへの違和感。
  • 対象者がそこで感じていない空気感まで運んでくる違和感。

人を対象としたフィールドワークの場合、そこに居る人(対象者)のものの見方で、その人が何を感じ、何を感じないのかを大事にしたいと考えています。その環境における対象者の生活やプラクティス〜もちろん、それらの大切な瞬間はTHETAの画像にも「どこか」には取り込まれているでしょう。

しかし、ひとたび画像をマニピュレートして動かしていくと、その対象者の行為とは無関係、少なくともその瞬間において無関係な世界が映り込んでいます。フィールドワーカーは何かにフォーカスしていたはずなのに、フォーカスのない世界が記録されているのです。

「あ、この奥の本棚に入っている本おれも持ってる」
「天井の照明、あれ結構値段するやつだよね」

そしてフィールドワーカー以外の第三者は、対象者のその瞬間に行っていた行為の流れとは関係のない意味(空気)をその画像の至る所に付与していくことになるでしょう。撮影者(多くの場合フィールドワーカー自身)の手を離れた瞬間に、撮影者がフォーカスした意図とは異なる見方をされる可能性があるのです。

もちろん、データ分析の際にそうした意図の共有を丁寧に行えば問題ないかもしれません。
しかし、まったくコンテキストと関係のないアーティファクトを「掘り出して」きては、検証しないままに「仮説」を次々と組み立てていくような調査が増えてしまうことも考えられるのではないでしょうか。


■今後の展望
道具(テクノロジー)が人の環境や行為を変え、人の能力を拡張していく〜THETAは、そうした変化に大いに影響しそうな道具の一つになる可能性はあります。

「予想していないもの」が生む驚き・喜び〜発想のためのトリガーは豊富であれば何でもよいという狭義のデザイン思考的な考え方もできるかもしれませんが、何でも「持ち帰る」的な抑えのきかない「パンドラの箱をあけたような」データ分析セッション…にならないようにする最善の配慮がリサーチャに求められているように感じます。

ツール面の今後についていえば、例えば、360度全天球にも関わらず何らかの「フォーカス」を作り出せるアイデアなどがあるとオブザベーションにも使えるシーンが増えてくるように思います。
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2013年06月23日

知識価値を増幅する「装置」としてのオフィス



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■はじめに

ここでは、PARC(Palo Alto Research Center)での人と人のコミュニケーションの有り様と、日本で一般的に見られるオフィスとのそれとを比較しながら、日本における知識創造をさらに加速させていくためにはどのような一歩を進めることが必要なのかについて考えてみたいと思います。


■PARCにて
Palo AltoのPARCのビルディング内〜
先ほどから、ドアの側に立ったまま、1時間ほど議論が続いています。

廊下の脇のちょっとした空間での立ち話、マイクロキッチンでのグループの会話、ランチミーティング…
あらゆるところで人が話し込んでいます。

日本のオフィスにもこうした空間があるところも多いでしょうが、コミュニケーションは起こっているでしょうか?

日本のオフィスの多くは、オフィス集約やフリーアドレス化など、空間を共有化することで日々の情報共有を活発にしようとしています(もちろんコスト削減という意味合いもあるでしょうが)。
これら日本のオフィス空間での「コミュニケーション」は、PARCで見られる「コミュニケーション」とは何かが異なるように感じます。
この違いは何でしょうか?


■日本のオフィスの生み出す知識の「均質化」と「無償化」
日本の一般的な「オフィス」〜
朝から晩まで日常的に何気ない会話をし、周囲の人の仕事のプロセスを見聞きすることで、互いの人となりの理解も深まりますし、業務知識の共有化も進むでしょう。

しかし、情報の断片が断片のまま人から人へと共有されていくことで、皆が同じ情報を同じような形で共有する「均質化」を生み、また、新たな知識が意識しないままに人から人へと共有され、共有することが当たり前になるという「無償化」が起こるのではないでしょうか。


■知識価値を増幅する「装置」としての部屋(オフィス)
他の人のドアを叩き、相談・議論し、何か得るものがあったときにはその人に感謝する〜
その行為のひとつひとつが、知識の価値、そしてその知識を生み出した人への価値を認識させます。

部屋はそうした行為を増幅する「装置」となっているのです。

知識とは一つひとつが尖っていて、一つひとつが異なるベクトルを持ちます。
だからこそ、知識は人につき、人はその知識に触れるために、その人を訪ねるのです。
「多様性(ダイバシティ)」というのは、多様であるという結果論を語るものではありません。
その根本にある知識の「多様性」があってこその、人の多様性なのです。


■「楽園」としての日本のオフィス
もちろんトレードオフもあるでしょう。

部屋に閉じこもって何も知識を生まない人、あるいは他人に知識を出そうとしない人も出てきてしまうかもしれません。

しかし、そうした人は生き延びられないシステムがそこには存在します。

研究者は新しい知識を生み続けなければなりません。
そして、そのためには自分なりの方法で新しい情報を内外問わず貪欲に追い続けなければなりません。
そうした「リテラシー」ともいえるスキルがなければ、システムの中で生き延びられません。

一方の日本の一般的なオフィスでは、それほど自分から新しい知識を生み出していない人も、生み出している人の知識を無意識に共有することができます。
また、その知識が誰から生まれたものか、その生み出したことの価値を測る仕組みも希薄です。
さらに、オフィスにいる「社員」は頻繁には入れ替わりません〜よほどの企業側の事情がない限り「クビ」にはならないのです。

この独特の日本企業の「楽園」システムは、オフィスの形態に現れているといってもよいのではないでしょうか。


■どこから始める?
今の日本のオフィスの良いところもたくさんありますし、日本の企業がしぶとく永続的であるのは、日本民族の能力の高さを示しているともいえます。

しかし、一つの製品を大量に作って広く売るという時代から、瞬間的に価値の軸を変える必要のある知識競争の時代においては、均一的な知識を助長するようなオフィスが適しているとは思えません。

一人ひとりに「部屋」を与える?
あるいは、「多様な人材」を雇う?

たぶん、何も変わらないでしょう。
部屋を与えれば閉じこもるでしょう。また、多様な人材を雇っても、研修を繰り返し3ヶ月もオフィスで同じ生活をすればすれば同じ考えを持った「○○er」(○○には会社名)が屯していることになると思います。

では、どこから始めるのか?
まずは、雇用における高い流動性を確保することではないでしょうか。
そして、その流動性の中で本質的に知識を育てやすい環境を作り出して行くこと。具体的にはファシリティを充実させ、新しい知識を生み出す人が少しでも長い時間、その空間にいて、知識共有を行える時間を作ることに投資すること〜すなわち「部屋」を与えること。


■おわりに
日本のさらなる変化・成長のためには、「知識」は「価値」であるという認識が高まることが重要であると考えます。

そのためには、自分たちにとっての知識とは何か、それはどのようにして生まれているのか、そして、その自分たちが知識を生み出すための装置としてのワークスタイル、ワークスペースのリデザインが必要となるのではないでしょうか。
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2013年02月03日

安村通晃先生最終講義〜安村研時代の追想

■はじめに
2013年2月2日、安村通晃先生の最終講義「インタラクションデザインとSFCと私」が慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで行われました。
安村研一期生として先生の長年のご指導に対する感謝の意を込めるとともに、自分自身の稚拙な大学時代を少しばかり振り返る機会として、とりとめのない形ではありますがメモしておきたいと思います。

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■SFCでの時間
1992年、当時のSFCでは学部の3年から研究室に入ることになります。今ではもっと早く研究室に入ることができるようですが、うらやましい限りです。
大学時代を振り返ると、研究室がようやくもらえてコンピュータすらない〜となりの研究室からワークステーションを借りてきて、イーサーネットのケーブルを引き、ようやく1〜2台のコンピュータが並ぶ部屋に〜1台ワークステーションが入り、別の日に1台パソコンが入る〜その度に研究室のアドミンメンバーと夜を徹して床をはがしてレイアウトし配線し、セットアップする〜そんなスタートだったように記憶しています。

夏休みなど、無尽蔵とも思える時間の中、目の前にはほとんど何も入っていないコンピュータ。
何かをコントロールしたい、何かをコンピュータに認識させたい、そんなときにもライブラリすらない、資料もない。例えば画像認識したいと思たときには、スクリーンキャプチャした画素値を識別するライブラリを1日でスクラッチから作り、次の日に色々アイデアとして湧き出るインタラクティブなシステムに組み込む。1日1万ステップほどのコードを書き、ともかく何かが動くのが楽しい、ともかく一刻も早く頭で描いたものを動かしたい〜大学のサーバにモデムでつないで夜中も続きを書いたり〜電話代がものすごいことになっていたり...。
そんな毎日だったように記憶しています。


■安村研究室という場
大学には大きく研究と教育という機能があると思いますが、当時の安村研に何があったか?〜当時はそのどちらもなかったように思います(いい意味でw)。
研究室で合宿して本を輪講し、合宿中に読み終わらなかったので、小田原城の公園で続きを読んだり〜ヒューマンインタフェースって何だろう?何が問題なのだろう?先生を含めてほぼゼロからの模索/探索であったようにも思います。

ほとんど何もないところから何かが生まれるイノベーションの空間、あとで振り返ればそんな場だったのだと思います。
「隣の芝は青い」〜隣の研究室をのぞくと、研究や技術のフレームワークがあったり、助手の先生がいて指導したり、そうした活動を羨む側面もありつつ、自分が何故SFCに来たのか、ということを問うと、そこに「体系がない」ことがとてもわくわくするものであるとも感じていました。


■安村先生の原点
「楽しいことをやっていれば人間楽しい」

失礼を顧みず評するならば、昔から先生の原点は「面白がる力」であるように思っています。
誰しも面白いことはもちろん面白いと思う訳ですが、あるエキスパートになってくると「それ見たことある」「ああ、あれね」〜普通は面白くないという内省的な視点でものごとをフィルタリングしてしまうものです。

しかし、先生にはまだ面白さが充分でないもの、どこかで少し見かけたことありそうなアイデアでも、何かしら面白さの片鱗があると思えれば「面白がる」。面白いと思ったものは、自分の研究室からのアイデアだろうと他の大学のアイデアだろうと、そのアイデアが乗り移ったように「面白がる」。学会ではまっさきに手を挙げて「面白がる」。それが研究として本質かどうかはよく分からないけれど「面白がる」。
そんな態度で色々なアイデアの「原石」にあえてチャレンジしているように感じました。


■「面白さ」「楽しさ」教育の可能性と限界
「面白い」「楽しい」イノベーションを生むには、結果的に失敗するものを含めて多くのアイデアが必要になります。それを生み出す場として学生本意の自由な研究テーマ設定ができたことは多いに意味があったと思います。
そして、アイデアの良否を評価するには?

「学会発表しましょう」

これが当時の先生の合い言葉のようなものでしたw。自分としては学会って何だというイメージもあまりないままに、作ったものを元に作文しては出す〜最初のころはそんな感じだったと記憶しています。外にアイデアをぶつけていくうちに、研究という輪郭が少しずつ見えてくる〜「面白さ」から「研究」や「教育」が見えてくるきっかけがこの言葉にあったのだろうと思います。

当時のHCIは(今でも少なからずそうかもしれませんが)、テクノロジー中心/スペック中心の計算機科学の中にあって、評価できないことが評価の基準であったようにも思います。そのような新しい世界観の可能性と限界というものを同時に感じながら過ごしていたように思います。

課題をみつけ、何かをつくり、それを測る基準すらない〜そうした「面白さ」を生み出すことが自然に行える人間にとってはとてつもなく呼吸しやすい場だったでしょう。しかし、そうでない人間にとってはさぞかし苦しい場であったと思います。その苦しさは、ある側面では「教育」でもあったともいえますし、しかし、それを突破するためのフレームワークが当時充分あったかというとそうでもない。そこに「面白さによる教育」の限界もあったのでしょう。
この「面白さ」中心の場でうまく適応した人はHCI分野に近しい分野でその後も活動し、うまくそうした経験を得られなかった人はそのエッセンスを発展させるというよりも、まったく異なる分野に進んでいるようにも感じます。そのこともその限界を語るアネクドートになるのではないかと思います。

その後、安村研では一連の「〜展」が実施されるようになりました。何かしら共通の応用のシーンを描いてあげる、つまり課題となる世界を提供することで、アイデアの輪郭〜内と外を明らかにすることができ、アイデアが出しにくい人間にとっても少し「息」がしやすくなったのではないでしょうか。
そうしたある種の「面白さ教育の体系」を作り出したことはHCIの教育においても少なからずヒントになるのではないでしょうか。


■最後に
大学、大学院という無尽蔵な時間の存在する時代において、多くの自由で面白い機会をくださった安村先生に深く感謝申し上げます。あの時間の中で本当に多くのことを学ばせていただきました。残り35年とおっしゃらずに無限に安村研のDNAをさらに広め、「面白さ」「楽しさ」で世界を征服しましょう!

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2013年01月26日

SWOT analysisからSWOT synthesisへの発想転換

■SWOT分析について
SWOT分析は、内部環境としての、強み(Strengths)と弱み(Weaknesses)と、外部環境としての、機会(Opportunities)と脅威(Threats) という4つの軸を元に戦略のプランニングを行います。
ビジネスパーソンであれば、仕事の中で何度かはお目にかかるツールの一つでしょう。

■SWOT分析のフォーマット
よく見かけるSWOTのフォーマットとしては、以下のような4つの象限を設けて、それぞれの象限に該当する内容を記載するというものがあります。
このフォーマットだと、項目を洗い出すという点では意味があるかもしれませんが、ビジネス上の次の一手をどう打つべきなのかが見え辛いといえます。

StrengthsOpportunities
WeaknesesThreats

SWOTのもう一つのフォーマットとしては、以下のようなものがあります(クロスSWOT)。
これだと、S,W,O,Tそれぞれの象限で検討したものについて、強みで機会を活かす、弱みを克服し機会を逃さない、強みで脅威を克服する、弱みを克服して脅威を最小化する、といったそれぞれの戦略をプランニングしやすいといえるでしょう。

 OpportunitiesThreats
Strengthss/os/t
Weaknesesw/ow/t


■「SWOT分析(analysis)」の課題
実際にSWOTを実践すると、企業の強みが弱みになってきている現実があったり、自分の企業の脅威といわれている分野で活躍している企業もあったりして、「SWOT」に分類する時点でめげてしまうことも多いかもしれません。

こうしたジレンマに陥るのは、ロジカルシンキングが得意な人ほど顕著かもしれません。世界を網羅的に捉えたいMECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)的な考え方の強い人は、世界の事象を完全に記述できる方法でないと納得できないかもしれません。

■「SWOT統合(synthesis)」への発想の転換
もう一度、上のフォーマットを思い出してみると、SWOTはそもそもは、それぞれの象限を掛け合わせる、ある種の「強制発想法」であることが分かります。
ビジネス上のある特定の状況において、問題が絡み合っていて次の一手が見えない〜そんなときにちょっとした「考具」として使うべきものなのでしょう。

「SWOT analysis」という名称の持つ「分析する」という視点にどうしても捕われがちですが、実は「SWOT synthesis」とでも呼べば、皆さんがワークショップなどでアイディエーションを行う方法と何ら変わりないものであることが分かると思います。

 「ビジネス」「戦略」「分析」という堅苦しいキーワードに縛られることなく、頭の体操の一つとして使えるツールとして有効活用してみてはどうでしょうか。

posted by igaiga at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年12月25日

ご挨拶

お世話になっている皆様、
2012年11月末にてリコーを退職いたしました。
リコーでは研究開発を中心に、様々な経験をさせていただきました
在職中は皆様にひとかたならぬお世話になり、厚く御礼申し上げます。

2012年12月よりパロアルト研究所(PARC)に移り、エスノグラフィを中心としたイノベーションの研究・サービスに従事いたします。日本の企業を対象とした活動が中心ですので、勤務地は東京になります。

今後ともご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。
posted by igaiga at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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